
コロナ禍以降、私たちの日常には手指用アルコール消毒がすっかり定着しました。
学校、公共施設、家庭――どこに行ってもアルコール消毒液が置かれ、誰もが一日に何度も手を消毒するのが、あたり前になりました。
ところが今、ヨーロッパで、エタノール(一般的に「アルコール」と呼ばれる)が、「発がん性・生殖毒性物質として分類されるかもしれない」というニュースが駆け巡っています。
日本にもロイター通信などを通じて伝えられ、「アルコール消毒液が発がん性物質?」、「禁止されるの?」と不安に思った人も多いでしょう。
この記事では、このニュースの背景と現状を整理し、今後の見通しと私たちへの影響を解説します。
エタノールが、「発がん性・生殖毒性の分類に?」
「エタノール」とは?
エタノール(別名:エチルアルコール)は、無色透明の液体で、お酒(アルコール飲料)の主成分としてよく知られています。
一方で、手指消毒剤・燃料・化学合成原料・化粧品、医療・生活のあらゆる場面で使用されています。
私たちが日常的に使うアルコール消毒液の主成分も、ほとんどがエタノールです。
いまEUで何が起きているのか
欧州化学品庁(ECHA:European Chemicals Agency)の内部作業部会が、2025年10月10日付で、エタノールを、「発がん性・生殖毒性(妊娠・胎児などへの影響)のおそれがある危険物質として分類するか検討中」との報告書を公表しました。
その後、10月20日前後に欧州主要メディアやロイター通信などで報じられ、国際的な関心を集めています。
今回の議論の対象は、「バイオサイド製品(殺菌・消毒を目的とした製品)」における活性成分としてのエタノール。つまり、手指消毒剤や清掃・殺菌用製品にふくまれる用途が焦点となっています。
メディアによっては、
消毒剤の危険性
手指消毒剤はガンのリスクを高める恐れが!
専門家は禁止を検討中!!
というように、センセーショナルに報道した例もあります。
また、発ガンのリスクばかりか、妊娠合併症(妊娠・胎児などへの影響)のリスクを高める有害物質であり、ほかの物質を使うべきだとの見解を示しているメディアもあります。
まだ最終決定に至っていない
ECHAの委員会(「Biocidal Products Committee [BPC]」)は、11月25~28日に最終的な議論をおこなう予定とされています。
規制当局が「エタノールを発がん性物質として分類すべき」と結論づけた場合、代替品の使用を推奨する方向になる可能性がありますが、まだ最終決定には至っていません。
ECHAは、「代替できない場合や、安全性が確認されれば、使用継続もありうる」とコメントしています。
つまり、「エタノール=全面禁止!」というわけではなく、「分類見直し検討中」という段階です。
「エタノール再分類」が議論されている背景

医療現場での“職業的暴露”への懸念
コロナ禍以降、医療現場では1日に何十回もアルコール消毒を行うことが日常化しました。その結果、皮膚からの微量吸収や揮発による吸入曝露が、一般消費者よりも高くなる可能性があります。
ECHAは、こうした長期的・反復的な職業曝露による慢性的な健康への影響を懸念し、予防的観点から分類検討を開始したと報じられています。
「予防原則」に基づくEUの化学物質政策
EUの化学物質政策では、「リスクが完全に否定できないなら、念のため制限を検討する」という、予防原則(Precautionary Principle) が化学物質政策の根幹にあります。「明確な害が証明されてからでは遅い。疑いの段階で、分類・制限をかけておく」という理念です。
この考え方は日本とは大きく異なり、EUでは、
- データが不十分なら「リスクあり」とみなす
- 代替物があれば、「より安全な方に移行を促す」という姿勢です。
そのため、ECHAの分類は「発がん性がある」と断定したわけではなく、「発がん性が疑われる」または、「データが十分でないが、リスクを排除できない」という段階でも、暫定的に“CMR(発がん性・変異原性・生殖毒性)”物質に分類することがあるのです。
「飲酒リスク」と混同されている?
国際がん研究機関(IARC)は、すでに「アルコール飲料(=飲むエタノール)」を
「ヒトに対して発がん性あり(グループ1)」 に分類しています。これは、飲酒によって体内で生成されるアセトアルデヒドに発がん性があるためです。
しかし、今回のECHAの議論は、「皮膚との接触」や、「揮発による吸入曝露」といった外用・吸入用途。体内への吸収経路も量もまったく異なります。
同じ「エタノール」という名称のために、飲酒によるリスクと混同された議論になっている面もあるようです。
科学的エビデンスは?

ECHAは、今回の分類検討で用いた科学的根拠を公開していません。
しかし、過去の複数の研究(BMC Infectious Diseases 2007, PubMed 2013など)では、手指消毒剤を頻回に使用しても、皮膚吸収・吸入による体内暴露量はごくわずかで、「健康に影響をおよぼすレベルではない」と報告されています。
現時点で、「消毒用途エタノールの暴露が将来ガンをひき起こす」とする 疫学的データや査読論文は、見あたりません。
したがって、今回のECHAの検討は、「科学的確証」ではなく、「予防的・評価的判断」のフェーズであるといえます。
私たちへの影響は?
WHOをはじめ各国の衛生当局は、依然として、「エタノールを主成分とする手指消毒剤は安全で有効」との立場を維持しています。
ただし、もし今後EUでエタノールが、「発がん性/生殖毒性あり」と分類された場合、次のような影響が考えられます。
- 手指消毒剤や清掃・消毒製品の成分構成の変更、価格の上昇
- 代替物質の導入や供給調整
- 化粧品では、CMR カテゴリー 1A/1B(おそらく人に発がん性などを有する)、または、“C2(疑われる)” として分類されれば、EUでは、化粧品の使用においても、使用禁止、または、厳しい制限に至る可能性があります。
つまり、消毒剤・化粧品業界に一定の影響が及ぶ可能性があります。
日本で予測される影響
現時点で、日本国内で法的な動きは見られませんが、EUの決定は中長期的に国内市場にも影響をおよぼす可能性があります。
欧州市場に製品を供給している日本企業では、エタノールの代替成分や安全性データの見直しがはじまる可能性があります。
化粧品業界では、「エタノール含有量」「使用目的」「表示ルール」を再検討する動きがでてくるかもしれません。
消費者のあいだでも、「アルコール=発がん性」という誤解が広まる懸念があり、
“エタノール不使用”や“低刺激・天然由来成分”を打ちだす製品が増える可能性があります。
また、行政・業界団体が「欧州での議論をふまえて、日本でも検討が必要か」を議題にとりあげる可能性もあります。
とはいえ、ECHAでの議論はまだ“分類検討”の段階であり、日本における規制や販売制限が直ちに導入される状況ではありません。
過度な不安をもつ必要はなく、今後の欧州での正式決定を冷静に見守ることが重要です。
アルコール以外の選択肢も、見直されつつある
今回のEUでの議論は、アルコール消毒を否定するものではありません。
ただ、 “殺菌・除菌=アルコール一択”という時代が、そろそろ見直されつつあるのも事実でしょう。
たとえば、医療・食品分野などで注目されているのが、第4世代の次亜塩素酸水(HOCl:Hypochlorous Acid)です。次亜塩素酸水は、人体にも存在する成分であり、細菌・ウイルス・カビなどに対して幅広く作用しながら、皮膚や粘膜への刺激が少ないという特徴があります。
さらに、アルコールとは異なり、空中散布(ミスト化)によって部屋全体に広げることが可能です。噴霧器を用いて空気中の浮遊菌やウイルスに作用させることができ、空間全体の除菌をやさしくおこなえる点は、アルコールにはない大きな利点です。
濡れた手や環境でも効果が落ちにくく、手荒れや皮膚バリアへのダメージも少ないため、敏感肌の人や子ども、高齢者にも使いやすいというメリットもあります。
安全性と環境負荷の両面からも、今後は「アルコール以外の選択肢」を知っておくことが大切です。
まとめ
- EUで議論されているのは、「発がん性が確定した」ということではなく、「リスクを予防的に評価する」段階にすぎない。
- 現時点で、手指消毒用途での明確な発がん性・妊娠毒性のエビデンスはみあたらない。
- 飲酒による発がんリスクを、外用用途にまで拡大解釈している面があるようだ。
- 今回のEUの動きは、「危険と証明されたから」ではなく、「まだ十分に調べられていないから、安全側に寄せておこう」という判断。
- 今後は、医療現場などでの長期暴露条件下での追跡研究が求められる。
- 日本でも、企業・行政・消費者の意識変化を通じて一定の影響が広がる可能性はある。
現時点でのエタノール使用に過度な不安を抱く必要はありません。
ただ、今回のEUでの動きは、私たちが長年当然としてきた「アルコール消毒」という習慣を、一度たち止まって見直すきっかけになるかもしれません。
皮膚や環境への負担が少ない代替手段も少しずつ普及しており、これを機に、「自分や家族にとって最も安全で快適な除菌方法とは何か」を考えることが、これからの時代に求められる視点といえるでしょう。
参考文献・情報源
- European Chemicals Agency (ECHA): Biocidal Products Committee (BPC) — 2025議題案内および分類審議予定
- Reuters (2025.10.20): EU considers classifying ethanol as a carcinogenic and reprotoxic substance
- Financial Times(2025.10.20) EU weighs ban on ethanol in hand sanitizer over cancer fears
- The Sun UK Edition (2025.10.21): Hand sanitizer feared to increase the risk of cancer as experts consider ban
- World Health Organization (WHO): Guidelines on Hand Hygiene in Health Care
- BMC Infectious Diseases (2007): Systemic absorption of ethanol from hand sanitizers — minimal exposure under typical use
- PubMed (2013): Occupational exposure to ethanol-based disinfectants and potential health effects in healthcare workers
ナターシャ・スタルヒン
ホリスティック栄養学修士
JHNAストレスニュートリショニスト
2025.10.31